2007-11-14

三八豪雪

研修会の後、福井市内にお住まいの『ゆうさん』という表具師の方と会う約束をしていました。(物凄い雪で会場の駐車場から出られずに30分ほど、遅刻してしまいましたが…)
久しぶりの再会にも関わらず、ご挨拶も早々に済ませてお茶の間に上がりこんだくりまんじゅう。

やはりすぐに「」と「」の話になりました。 そこで、印象深く残っているのはゆうさんの語ってくれた「三八豪雪」の話です。

「三八豪雪」とは、昭和38年(1963年)の1月から2月にかけて、新潟県から京都府北部の日本海側を襲った記録的豪雪だそうです。昭和37年のクリスマス・イブを境に、まとまって降り出した雪は翌38年には本格的な大雪となったといいます。

「最近は里にはあまり降らないけど、三八豪雪の時だけは凄かった・・・
以下は、そう言って語ってくれたゆうさんの「三八豪雪」の話の要約です。

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とにかく降った。12月から降り出した雪は、朝もなく、昼もなく、夜もなく…1月に入ると、それこそ、毎日ずっと降り続いてた。
まず、家の中の食べ物がなくなっちゃったんですよ。それから、燃料。今みたいに交通機関も発達していない頃だったから、街の中にもない。それより外に出られない…
学校は何日も臨時休校。けれど、家の中に居ても真っ暗。
もう既に一階はすべて雪に埋もれてしまって、まわりの壁がすべて雪に囲まれているので、家中が妙に湿っぽくなって…
どんなに雪下ろしをしても、下ろす以上に降ってくるので、雪の重みで「ギシギシ」って家が軋む音がする。
怖かった。子供心に、それは今でも憶えている。

降っても、降っても、それでも雪はやまなかった。もう何日、いったいどのくらい降り続いているのかさえも分からないほど降っていた。

或る日の夜だった。親爺に呼ばれて、家族で集まって話をした。
「もう福井はダメかもしれない。全滅だ…」
親爺は悲痛な顔でそう言った。そして、「食べるものもこれが最後だ」とも言われた。
正直、あの時は、子供心に覚悟を決めた気がする。

あぁ、本当にダメなんだろうって…
その後、それを皆で食べたんです。まさに最後の晩餐って感じで…
酷く粗末なものだった。けれど、実際、それで食べるものは全てなくなった。
(あぁ、これで死んじゃうんだ・・・)
眠れない夜だった。

翌朝だった。
目がさめたら、二階の窓の隙間から微かに光が差し込んでいたんです。
もう、何日もずっと見ていなかった陽の光。
「あぁ、太陽だ…」
その光はまさに「希望の光」に見えたものです。
それから、どうにやって家の外に出たのかは憶えてない。ただ、無我夢中になって気がついたら二階の屋根に登っていた。
見渡す限り、一面、真っ白。福井の町が、いや、実際、見える景色がすべて雪に埋もれていた。
けれど、あっちの家でもこっちの家でも、屋根に人が乗って、手を振っていた。
誰に向かってというわけでなく、ただ、みんな、お日様に向かって手を振ってたんです。

あの時の太陽の明るさと青い空は今でも憶えている。
あれは、絶対に忘れられない光景です。
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実際、この年の豪雪では死者数228名・行方不明者3名が出たそうです。

ゆうさんのお話には体験した人だけが持つ重みと迫力がありました。
凄い経験をされたのだなとしみじみ思いました。

今年の冬は厳冬とも予想されてます。降り過ぎなければいいですね。
 

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