2008-05-31

面接そして八幡神社

 昨日は新しいパートさんの採用の為、群馬八幡にあるお店へ面接に行ってきました。

 3月末に欠員ができることになり、それから既に募集を掛けて3ヶ月ほど…その間、2名採用しましたが、お一人は初日の研修中に気持ち悪くなり、そのまま病院へ行ったところ、めでたくも「ご懐妊」がご判明。(^^;
 もうお一人は、初日に来ないので電話連絡をしたところ、携帯も家電も「お客様のご都合により繋がりません…」というメッセージが流れるだけで…そのまま家族ともども行方すらわからなくなってしまいました。(^^;
 どちらの方も40代です。(^^;
 そして、ようやく3人目の応募があって、昨日はその面接となったわけです。

 PM11:00にお店に行き、そのまま近くの喫茶店へ向かいました。(コーヒーは凄く美味しいし、ついでにいつ行ってもお客さんがいないので面接等をするには好都合ですが…経営が心配です。)

 1時間半ほどそこで面接を行ったのですが…
 (合否の結果はまた後日連絡ということで…)

 「では、本日はご苦労様でした」と伝票を持ってお店を出ようとしたら…

 (^^; (^^; (^^;

 あっちゃ~!やっちゃいました!くりまんじゅう、財布持っていませんでした。(苦笑)

 ありゃ、ど、どうしよう…
 けれど、どうしようったって、どうにもなりません。持っていないものは持っていないのですから…

 結局、パートに応募していただいた方にお金を借りる始末です。
 むぅ…格好悪いです。情けないです。格好悪すぎです。(凹ぎゃふん)

 お店に戻って、すぐにお返ししたのですが、「1000円、売上からちょっと貸しといて!」と言ったら、「どうしたんですか?」と聞かれ、「お金持ってなかった」とこたえたら、「格好悪い!」とお店に居た二人の店員さんにも思い切り笑われてしまいました。

 ははは…こうなりゃ、もはや、笑うしかありません。
 久しぶりに大恥じかいてしまいました。(^^;

 その帰りに「八幡神社」に寄り道しました。心を静める為です。(笑)


 嘘です。シグマ30mmF1.4を試し撮りしてみたかったからです。(^^;






































 ということで、上の話は写真がなかったので…逆に「八幡神社」は写真だけにしてみました。
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 八幡神社
 祭神は品陀別尊(応神天皇) 並神は息長足姫命(神功皇后)、玉依姫命
 境内は約9000坪。江戸時代よりの神仏混淆様式を残し、本殿は天地権現造り、宝暦7年(1757年)の建立。天満宮は旧本地堂。
 だそうです。

2008-05-30

シグマ30mmF1.4購入

 室内で(ノーフラッシュで)写真が撮りたくて、つい買ってしまった開放F値1.4の単焦点レンズ。(^^;
 シグマ社製30mm F1.4 EX DC HSM (ニコン AF)です。

 宅配便で届いた箱から早速取り出し、カメラ(Nikon D40x)に装着して、まずは感謝を込めて「最初の1枚」はこれにしました。

 MUJさんから頂いた「かりんとうまんじゅう」です。(^^) ありがとう!

 続いて、室内ノーフラッシュで居間と台所の境にいた(目つきの悪い)シロを・・・

 「パシャリ」とシャッターを切って、すかさずカメラ背面の液晶で確認。
 おぉ、なかなかいい具合です。肉眼並みの明るさで撮れてい(るような気がし)ます。このレンズには手ブレ補正はついていませんが、シャッター速度もかなり稼いでくれていますので手ブレがちのくりまんじゅうでも大丈夫です。

 けれど、絞り開放で写すと被写界深度(ひしゃかいしんど)、激浅さですね。(被写界深度とはピントが合っているように見える領域のこと)周囲がすぐにボケボケになります。なのでピント合わせが非常にシビアです。(っていうか、何にピント合わせるかしっかり意識しないと単なるボケてる写真になります)

 室内は分かった。ならば、野外はどうなんだと外に出て、試し撮りにこんなのを・・・

 へぇ・・・なるほどね。普通(プログラムオート)に撮ってもボケが強く出るので肉眼とは違う見え方になり面白いです。(絞りが浅いんですね・・・)

 夕方(PM6:40頃)、会社の外でも試し撮り・・・日暮れ間近です。とりあえずISO感度は200・・・絞りはF2.8程度にして・・・



 ふむふむ、なるほど・・・
 勿論、絞りを絞れば、被写界深度は深くなります。(当たり前!)

 では、ISO感度を800に上げて・・・ホワイトバランスを変更して・・・絞りを開放にして・・・露出補正を明るめにして・・・

 すると、この通り、夕方なのにまるで昼間のような写真にもなってしまいます。(これは陽が完全に落ちて上の写真よりさらに暗くなってから写したものです!)
 夜(PM10:00)、家に戻って更にこんなのを・・・(ボックスティッシュのカバーです)

 ついでにその横に寝ているこいつも・・・(^^;

 怖い顔してます。(笑・・・)
 寝室に行き、こんなスタンドライトの明かりだけで・・・

 フラッシュ一切焚かずにこの明るさで撮れるのにはさすがに少し驚きました。(^^)

 このレンズの購入にあたりボケとかはそんなに意識してませんでしたが、こいつは嬉しい誤算です。
 面白い絵が撮れそうで、しばらく楽しめそうです。(^^)v

 でも・・・でも・・・やっぱりカメラは金喰い虫です。(:_:)
 ついでにネット通販、「プチッ!」とクリックだけで・・・簡単に買い物出来過ぎです。
 怖い・・・です。気をつけましょう。

2008-05-29

写真集到着

 先日、ご紹介した「シロの写真集」が出来上がって来ました。
 http://yume-no-nakade.blogspot.com/2008/05/my-book.html

 なかなか見栄えもゴージャスで、いい感じに仕上がってます。(値段を考えなければ…の話です。(^^;)

 作りも非常に丁重で、プリントされた写真も鮮明でクリアです。(これも、値段を考えなければ…の話です。(^^;)
 
 けれど、これを見た人は必ず言うのです。

 「なんだか、シロが亡くなっちゃみたいだね…」(:_:)

 確かに…言えてます。(^^;

2008-05-28

貫咲神社その2

貫咲神社その1からの続きです)

 拝殿です。拝殿とは神を祭祀し礼拝を行うための建物で、本殿の前面に配置され、本殿が神座であるのに対して人が神に祭や祈願などを行う場所だそうです。

 拝殿内から本殿を覗く風景です。

 貫前神社の本殿は外見は春日造りですがが、内部がニ階建てになっているそうで、神座はそのニ階部分にあり、「貫前造り」と称する独特な構造なのだそうです。

 屋根正面の妻の部分には雷神の描かれた小窓があり、「雷神小窓」といって信仰の対象にもなっていたそうです。
 ちなみに社殿は寛永12年(西暦1635年)、三代将軍徳川家光により、造営されたそうで、三島宮司に「しかし、それにしても、古い建物ですね。」というと「あぁ、でも建物はまだ高々400年弱だからねぇ。全体の歴史からみれば、最近のものですよ!」とおっしゃってました。(^^;
 一旦、宮司を別れて、本殿裏手に廻りました。

 その真裏に「大杉」が立っています。

 樹齢1200年と伝わる大木。言い伝えでは平将門討伐のため出征する藤原秀郷公が戦勝祈願をして歳の数36本の杉を奉納した中の1本が今も立っているといわれ、別名を「藤太杉」とも云うそうです。

 その奥は草木の生い茂る山深い森林です。

  薄暗い本殿裏から正面に戻りました。

 苔むした塀ひとつでも、なんとも悠久の時を感じさせます。

 本殿の脇にはこんなお札も…

 帰り際に、もう一度、三島宮司に挨拶をしてから、帰りは左手の「宝物館」へ続く階段を上がりました。

 磨き抜かれた御影石の寄付者の碑には花が映りこんでました…

 最後にもう一度「貫前神社」の文字を眺め…

 大鳥居へと戻りました。

 階段下の駐車場へ着いたのがPM3:30。大よそ2時間半ほどの散策でした。
 しかし、1500年弱という歴史はだてではありませんね。改めて、「ゆかりは古し貫前神社」の真の意味を思い知らされた次第です。

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 http://www.kan-etsu.net/jomokaruta-kiko/index.html
 こんなツアーもあるんですね。(笑)

2008-05-27

貫前神社その1

 群馬県(の西部)にお住まいの方なら、富岡市一ノ宮にある『貫前神社』はご存知でしょう。そう上毛カルタでもお馴染みの「ゆかりは古し貫前神社」です。

 けれど、まるで慣用句のごとく「ゆかりは古し」と言っていますが、実際、どのくらい古いのか、くりまんじゅう、実は知りませんでした。というよりも、意識すらしていませんでした。(^^;

 創建は「安閑元年」…といっても、まず大抵に人はピンとこないでしょうから、西暦で言うと「531年」だそうです。逆算すると、なんと1477年前になります。
 貫前神社の由緒は、鷺宮(安中市)に物部姓磯部氏が、氏神である経津主神を祀り、その鷺宮の南方、「蓬ヶ丘綾女谷」(現在地)に社を定めたいうのがその始まりだそうです。

 貫前神社の境内の敷地は蓬ヶ丘と呼ばれる丘の北側斜面を含めて、およそ2万6千坪だそうです。しかし、そう言われても、広すぎて感覚がわかりません。
 貫前神社は綾女谷と呼ばれる渓間を切り開いて建造され、しかも南向きに建っています。その為、正面参道からは一ノ宮の街中を走る旧道から坂を上がります。

 丘の中腹からは階段になっています。(階段横を車道が走っていますので、車で登っていくことも出来ます)その頂上に大鳥居が見えています。

 登り切って嶺に出ると、総門をくぐり今度は今度は石階段を下って社頭に達する順路になります。「一度上ってからまた下る」という参道は国内でも非常に珍しいそうで、この造りも貫前神社の特徴のひとつだそうです。

 けれど、くりまんじゅうは総門を下らず、境内左にあるスジダイという樹齢推定1000年といわれる巨木の脇を抜けて、

 「二十二末社」の前に出て行きました。

 「二十二末社」とは、県内(群馬)の主要神社の神々22柱を一堂にあつめてお祀りしたものだそうです。

 古い貫前神社の本殿を移築したと伝わっている「末社日枝神社」。そして、その隣にある「伊勢内宮」を見ながら、その裏手に入り、細い山道を下って経蔵址を通り本殿脇に出て行きました。

 通路に沿って、そのまま社殿を廻り、「楼門」に出ます。「楼門」というのは総門から石階段をくだった場所に建つ朱漆塗りの門です。

 外部は華麗な透かし彫りで彩られ、門の中にはこんなのがいたり…

 脇にはこんなのも収められてました。
 ちなみに総門への階段を下から見上げるとこんな感じです。

 勿論、すぐ傍には清め場もあります。

 実は「貫前神社」に来たのには、少し理由もありました。
 以前、英語塾でお世話になった先生が亡くなったということをブログに書きましたが、当時、でくりまんじゅうたちが塾に行くと必ずといっていいほど遊びにやってきた先生のご友人がいらっしゃいました。
 アマチュア無線を教えて貰ったり、一緒にトランプをして遊んだり、バーベキューなどへも行ったりと…実はその方が貫前神社の現在の宮司さんなのです。
 既に30年ほど前の話ですが、先生が亡くなったばかりでもあり、一度、お会いしてご挨拶をしたいと思っていたのです。

 三島宮司です。
 30年ぶりですが、境内を掃除しているお姿を一目見て分かりましたので、不躾にも声を掛けさせていただきました。
 最初は記憶を探るような顔をしていらっしゃいましたが、休憩所で昔話をし始めると「あぁ、憶えてるよ。A野くん、I山くん、O手くん、W津くん、みんな、憶えてる…懐かしいなぁ」と記憶に色彩がつきだしたようなお顔に変わっていかれました。(^^)

 先生とはその後もずっと親交があり、亡くなる5日ほど前にも電話を貰い、国立病院へ会いに行ってきたそうです。
 途中、来客があったりしたにも関わらず、「ごめんね。少し待っててね」と言って下さり、お忙しいところを一時間半ほど思い出話、昔話をさせていただきました。

 その2に続く
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