2011-02-07

思い出写真 馬籠宿

 本日の思い出写真は信州木曽路は「馬篭宿」です。
 日付は春真っ盛りの「2005年4月25日」。
 ところで、この時一緒に妻籠宿も寄ったはず…と思ったのですが、何故か写真が一枚もありません。
 うーん、はて?どうしてだろう・・・






 通常、馬篭(や妻籠)に関東側から行くには、中央高速で中央アルプスを恵那山トンネルでパスして、岐阜の中津川ICで高速を下車。
 そこからちょいと北上するのが一般的なのですが、上の写真を見るとそのルートを通ってないことがわかります。


 最初、いったいぜんたい、これはいったいどこの写真?と思って…
 よくよく考えてようやく思い出せました。(汗)


 そう、この時は恵那山トンネル手前の飯田山本ICで高速を下り、国道256号で中央アルプスを越えて旧中仙道の馬籠峠を通って馬籠へと行ったのです。
 そう言えば、いつもより早めに家を出たのですが、木曽山脈越えに時間が掛かり馬籠に着いたのはお昼もだいぶ廻った頃でした。


 あぁ、そういうことで馬篭宿へは行ってないです。^^;
 すみません。勘違いでした。また別の時でした。(汗)


 でも、ここまでのお写真、馬篭までの道中写真ってことは分かりますが、場所はまったく分かりません。(まぁ、最近こんなんばっかりです。^^;)


 馬籠宿に着き、「あぁ、腹へった!」と、とりあえずここで蕎麦を食べました。
 当時、「食べ物写真」とか撮る習性なかたったので(笑)、どんな蕎麦を食べたとかは分かりません。
 ついでに言えば、美味い不味いの記憶もないです。^^;
 なんか普通の蕎麦だったような・・・(汗)


 以前、諏訪のkenさんに「こちら(長野)では中山道ですが、そちら(群馬)は中仙道なのですね?」とコメントを頂いたことがありますが、この写真に「中山(仙)道」の由来が書いてありました。(今、気づいたのですけど…^^;)

 『中山道は、はじめ「中仙道」と書かれていたが、本州の中部山岳地帯を貫いている道路ということから。享保元年(1716)以降、「中山道」と書き改め、やはり「なかせんどう」と読まれた。』とあります。

 ということは群馬は享保元年以前のまま?(笑)


 まぁ、木曾の観光地としては有名な馬籠ですから、今更、説明も必要ないでしょうが、一応、Wikiを引用というか要約すると・・・


 『馬籠宿は中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県中津川市(かつて長野県木曽郡山口村であったが、2005年2月越県合併により編入)。


 木曽11宿の一番南に位置する。明治28年と大正4年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元されて現在の姿となった。


 石畳の敷かれた坂の宿場で妻籠宿とともに人気があり多くの観光客が訪れる。
 石畳の両側にお土産物屋がならび、丁度中間地点に藤村記念館(旧本陣・島崎藤村生家跡)がある。商いをしていない一般の家でも当時の屋号が表札のほかにかけられている。』


 ということで、「藤村記念館」にて…障子とぶ~こ。(笑)


 デカイ蜂の巣…
 蜂の巣ですよね。

 実際、馬籠・妻籠は群馬(安中)から行くには身近な観光地なので、これまでも様々な旅行で来ているので目新しさはありませんが、それでもやはりこの身に流れているのは日本人の血なのでしょうか、石田畳の街並みにその趣と味わい深さを感じます。

 2時間ほど散策、帰りは中津川ICから素直に高速乗って帰ったはずです。

 < SONY Cybershot DSC-P5 >

2 件のコメント:

  1. えっと、僭越ながら・・・
    最後のは『杉玉』では?
    杉玉は、新酒ができたときに、その印として造り酒屋の表に飾ります。そのまま飾っているので、酒屋のシンボルみたいになっています。

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  2. ど真ん中にこんなに都合よくと思いましたが、なるほど…そういうものですか?

    いや、勉強になりました。m(_ _)m

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